寒い冬が終わり、春がやってくる。この喜びが最近になって漸く分かってきた気がする。
多分今までも、気温が暖かくなって嬉しいだとか、花が咲いて綺麗だとかそういう気持ちはあった。しかし今思えば、それはただ目の前にある事実に対して純粋に喜んでいただけであり、春という新たな季節がやってきたことに対する情緒的な喜びではなかったのではないかと思う。
「長い冬が終わって、嵐がやってきたかと思えば、あっという間に草花が芽吹きはじめ、春がやってくる。」そういう絵本や詩なんかで見るようなことが実際にあるのだ、実はあったのだということを、大人になって今更気づいたという感覚がある。自分でも上手く言えないがなんというか心にしみじみと広がるような感情だ。
話は変わるが今月、就職のために引越しをした。慣れない土地だからこそ休日は引きこもらず外に出ようと思い、桜を見くべく人を誘って電車に揺られた。その日はとても良い天気で、昼間は半袖の人もいるほどに暖かい好天だった。桜も丁度見頃を迎え、まさに文字通り「良い休日」だったと思う。
丁度イベントが開催されており、出店やキッチンカー、ステージなども出ており、たくさんの人で賑わっていた。大好きなスパイスカレーもあって嬉しい。嬉しすぎる!!カレーはすぐに無くなった。自分、もっと食べられます。自分はもっとやれます。やらせてください。
桜の花びらがヒラヒラ散っているのもまた風情があって、今日は「当たり」の日だったなと満足しながら散歩をした。
こういう所謂「お花見」のしみじみとした良さも、最近になって分かってきた気がする。小学生の頃に連れられたお花見も楽しかったけど、友達と喋ることとゲームをやることに集中しすぎていた気がする。今は目の前のごはんだとか目の前の人との会話だけではなく、幼少の頃は気が付かなかった色々なことを五感で感じた上で、じんわりと「良いな」と思うのだ。
柔らかく温かい陽光の下でするお散歩の心地よさだとか、自分と同じようにご飯を食べてお酒を飲んでご機嫌な人たちが沢山いることに気づいたりだとか、草花やお弁当のにおいだとか、偶然聞こえてきた知らない人の今日の夕飯メニューだとか、そういう日常の集結みたいなのを感じて何とも言えない不思議な気分になった。
そして、「長閑でいいな〜」と思った。
毎日休日はこれでいいのにな〜。でも毎日これだと今度は刺激が欲しくなってしまうんだろうな。などと考えながら、この日は暗くなる前に帰路についた。
家に着いた頃にはもうすっかり外は冷え込んで、昼間に感じた春を名残惜しく思いながら、暖房のスイッチを入れた。